あんなに好きだった人間を、知れば知るほど嫌いになったり怒ったりしてしまうのは、彼は彼であってわたしではないことを忘れてしまうからだと思う。存在を忘れてしまうほどそこに「存在」しているから、だんだん境界線を引くのがめんどくさくなって、わたしと彼の境や、あの山とそのほかの風景の境はあいまいになって、いつかわたしは彼を語り、あの雄大な山の前を通っても何も思わなくなる。自分のなかで存在が大きいものから順番に忘れてしまうから、スケートを形容するならきっと・おそらく・たぶん今、まだ存在感がうすくて異物感があり、わたしとは違うものとして、真新しく光ってみえる、今なのだと思う。
コロナ禍にもみくちゃにされ、流れ着いたのはスケート場だった。だからなぜ自分がここにいるのかの成り行きはうまく説明できないけれど、いまひしひしと感じるのは恋は電光石火だということ、手を引かれるよりも強く、背中の引力だけでその人を追いかけてしまうみたいに、スケートの世界の人間の眼を見たとき、その引力にもう捕らえられていた。スケート場に足を踏み入れたときの肌の感覚、氷にそっとあがったときの視界の白さがいちいち琴線に触れて、鳴らして、そんなつもりじゃなかったのにずっと鳥肌がたっていた。言葉が足りない。というかこの景色をしめす言語をいままで持っていなかったから、息を飲んだり、笑ったり、写真を撮ったりすることしかできなかった。 まっしろな舞台を、筆のように滑っていく選手を見ては息が止まる。指先のやわらかさからまっすぐ始まる時間に心を全部あげたくなる。細やかな光の粒の連なりからなる世界観を、垣間みえる美意識を、どうしようもない一回性を、これからしばらく好きでい続けてしまう。