大学の頃、『グッピーハウス』という名のアパートに住んでいた。
入り口はオートロックで色彩は豊かなオーシャンブルー、窓は綺麗に磨かれて、各部屋のネームプレートの隅にこっそりとグッピーのシルエットが印刷されている……そんな物件なら良かった。実のところは、風で吹き飛びそうな薄い共同ドアを入ると古いゴムみたいな匂いがして、2階へ上がる屋外階段の途中に家主のいなくなったハチの巣が鎮座する築25年の木造アパート。ネームプレートすらそもそも存在していなかった。
どうしても一人暮らしをしてみたかった19の俺が、3つのバイトを掛け持った末にやっと手に入れた城だった。結局生活が破綻して4ヶ月で実家に逃げ帰ることになるのだが、俺はその日々だけはやたら鮮明に覚えている。学生時代を前世の様に感じる今になっても。
仕事を始めてそれなりの給料をもらえる現在は、その時よりもかなりマシなアパートに住んでいる。ただ1つ気になるのが、「近所付き合いがない」ということである。
今のアパートでもグッピーハウスでも、俺は隣に住んでいる人間と出会ったことがない。どっちにしろやっすい物件にしか俺は住まないし、やっすい物件に住む人間となると75%くらいの確率で若者である。仲良くなったら楽しいイベントがあるかもしれないのに、と思いつつ、俺は誰とも顔を合わせないまま今日もアパートを出る。
コーポ湊鼠の方々とはTumblrを通じて懇意にさせていただいている。彼らが住むコーポが物理的に存在するのなら、俺は今すぐ今のアパートを引き払い、吉祥寺でも金沢でも飛んでいくだろう。きっと楽しい生活に違いない。休日は昼から酒を飲むだろうし、ガレージには間違いなく灰皿が置いてある。壁の一角にはきっと絵が描かれているし、夜は隣から小さく聴こえるギターの旋律とセッションするだろう。
ま、俺は筆まめじゃないから入居するわけにはいかないし、どうせ住む場所は仕事上決められているのでどうしようもないのだが。そっとやってきて屋根で微睡み、そっといなくなる黒猫が、俺の配役にちょうどいい。
今後も楽しみにしています。入居者の皆さんへ。
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