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出会い「形」について

あ、〇〇ちゃん?

 

 

はい、そうです

 

 

じゃあ、行こっか

 

 

出会い系アプリを初めて使ったのは15,6歳頃の夏だったと記憶している。当時は未だあどけなさが全面に浮き出ていたので、年上の男性からしたら言い方は良くないかもしれないが「イイ鴨」だったのだ。青春時代真っ盛りの純情な乙女が夜の道玄坂で一夜を過ごすなんて。今考えるとあまりにもはしたないし、いわゆる過保護家庭で育った身としては「親が知ったら泣く」どころではないと思う。ヘタしたら死んじまうかもな。

最初に出会ったその男性は確か8、9つほど離れた年の男で、自称医者だと言っていたが真偽は定かではない。性行為目的でーーファーストフードでテイクアウトをするようなリズム感で事が進んでは終わっていったと思う。注射とか下世話な隠語はここでは使わない。ただ、最後に告げられた言葉が今でも呪いのように纏わりつくのだ。「君がもっと素敵な女性になったらまた遊んであげるよ」と。

その後はオフラインやオンライン、時にはオンラインからオフラインの関係へ移行したりと、至るところに在る窓口を叩いては性関係(恋人仲を含む)を築き、壊しては破れ、‘‘性懲り’’もなく脱構築を繰り返してきた。臭いと思うだろうが、愛の所在について知りたいと思う心が不精な自分にも持ち併せていたのである。あの時、私は男が言った「素敵な女性」に見えていただろうか。そう思って距離を詰めてくれた男性が、今まで何人いただろうか。

ある時は「従順で可愛い女」と言われ、またある時には「性対象として見られない」と一蹴された。純情可憐な君の正体は魔法使い、とはあながち間違いではなかったかもしれないと思うまでに至った。男の言う「素敵な女性」は極めて険しい茨の道だ。時には自分の身体を大事にした方が良い、などと言われながらアップダウンを繰り返して、躍動心に繋がる出来事を半ばバラエティ感覚で楽しんでいる。「素敵な女性になったら」と言って去ったあの胡乱な男は、さて素敵な男性だっただろうか。フィルター加工を何重にも施した色眼鏡を付けていた子煩悩が見た白昼夢だったかのようにも思う。

以上が私の出会い系アプリに於ける原体験である。念の為言うが処女を脱したのはもっと前の話だ。加えて、今私はアセクシャルという性を自称しており、行為に対する欲求の理解度が極めて低いタームに入っている。

「素敵な女性になったら」ーーー既に約8年の月日が経過した。深夜に発泡酒を呻りながら打鍵している状況からも推察できるように、素敵な女性とは逆行する日々が続いている。だが、少なくとも私は「素敵な」生活を送れているという気概が十分にあり、「素敵な女性」以前に人間としての意義を見出せているため、当時の男には中指を立ててもつべこべと言われる筋合いはないのだ。あの男がアルマジロになって吐瀉物塗れの道玄坂を下っていく夢を、今夜こそは見られますように。

服 酒 音楽 吉祥寺在住 色々な事に興味があります

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