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かみしめて

咀嚼が好きだ。

「よく噛んで食べなさい」とはあまり言われずに育った。餅を喉に詰まらせて死ぬなといった程度の忠告しか受けなかった気がする。それよりも箸の持ち方を教える方に我が両親は尽力していた。

十代のニブンノイチを過ぎた辺りから、硬いものを好んで食すようになったと記憶している。

当時の私は無類の芋好きで、ジャガ芋の味噌汁にサツマ芋の煮物、カボチャのサラダなどといった品目が同じ献立に出るという暴力的な食物繊維の摂取を行っており、また同時に不得手だった納豆も克服、さらにそもそも食べることが遅いのも相まって、一度の食事には一時間強もの時間を費やした。

集団での外食ーーーそれも酒を伴っての食事ではなく、いわゆるランチやディナーの類が苦手である。相手のペースに合わせて箸やフォークをすすめ、無言の間が生まれぬよう適度に会話をし、長くても一時間程度で店を出なくてはいけない焦りとの葛藤。外食の場は戦場である。最終的には水で押し込み、そのツケが回って夕餉の時間に悶え苦しむこともしばしば

酒の肴によくエイヒレを選ぶ。マヨネーズも七味もつけず、ただ焼いた状態のエイヒレを無言で咀嚼し、発泡酒で特有の魚臭さを揉み消すのが好きである。これだけで無言の一時間を過ごせる為、一人で時間を持て余し過ごす晩には持ってこいだ。

 

咀嚼をしている間ーーーエイヒレを、または芋類を、或いは納豆を<噛み締めて>いる間、何を考えているか?

これに関しては「何も考えていない」という答えが正しい。私は意義のある無駄を好んで実践している。意義のない無駄は乗り気のしない外食にある。全ての飲食店を淘汰する訳ではないが、私にとっての外食=害食である。

 

よく噛んでよく食べる。言葉にも同じことが言えよう。

言葉の品定め、比喩表現による調理、誤った文法による嚥下、脱稿という名の完食。

丸呑みをしたら痞え、えづき、長い間苦しむことになる。だから日々<噛み締める>必要性があり、この文章を咀嚼する不特定多数の誰かが、文字をうっかり喉に詰まらせアパートの階下で倒れてしまわぬよう留意している。

噛み砕き、食道をゆっくりと落下して胃液と混ざり、消化・吸収された飲食物は栄養源になる。言葉も同じルートを辿って人間の脳へ貯蓄され、紙やテキストデータ上で効能を発揮する、丸呑みでは感じられない食感を、咀嚼によってその輪郭をなぞらえる。

 

よく噛んで食べなさい、空腹感に騙されて汚く肥えてしまわぬように。

翳目

酒と娯楽と文章が好きなだけ。

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