仕事を一度手放して、大学院に入ろうかと考えている、という話を父親にしたら、ほとんど当惑した様子で、しかし結構はっきりとした言葉で反対された。眉間にしわ寄せて半ば目を伏せながら、少し首を傾げるあの仕草。昔から馴染んだ父親の癖だ。俺がお前の歳には既に一女をもうけていて、云々。俺はわかる、わかるよ、と思った。早い話がちゃんと定職に就いて、所帯を持って落ち着いてほしいのだろう。だよねー、と思った。これに関しては俺にも反発の意思はない。というかそれが人生の本懐だとすら思う節もある。むろん人生の舵取りを親に任せたこともないのだけど、ちょっと助言を求めるつもりで話をしたら、予想通りの反応が返ってきた。学部新卒から5年、聖職者の真似事で糊口を凌ぎながら文芸に身をやつしているうちに結婚目前かと思われた女にふられ、それでもなお飄然としたことを口走る長男の身持を案じる親の気持ちはめっちゃわかる。めっちゃわかられるのである。父親はちょうど今の俺と同じ歳の頃、サラリーマン稼業に辟易して古着屋を開こうとしたことがあるらしいのだが、上記のように守るべきものを抱えて断念した経緯があるのだ。だから、お前も、ということでもあるのだろう。しかしこれにはちょっと釈然としない。時代がちげー、と思う。平均年収は、平均結婚年齢は、30年前と比べられちゃあ困る。とか色々書きながら一番首を擡げるのはやはり経済的な問題だ。現職を潔く手放す気概もはっきりいってない。だから働きながら通える大学院をこそこそこうやって調べたりして、あぁ、あ、あ、度し難い、人生! とやら。セラヴィ。ケセラセラ。理屈はあとだ、みんな死ね。