午前11時。
カーテンの隙間からちらつく配電線にピントを合わせながら、ゆっくりと身体を起こす。背筋に肌寒い空気が流れたが身震いはしなかった。もう少し早く起きていれば、幸福を齎す陽光が溢れる部屋で二度寝を迎える筈だったのにと、私は少し気分が落ち込んでそのまま布団に寝そべった。眠気が波のように押し寄せてくるものの、大音量に設定したタイマーが定期的に鳴り響くおかげでなんとなく目は覚めていた。最後のアラームで一気に意識が現実へと引き戻される。それからは洗濯物を畳み、そそくさと顔を洗って歯磨きを済ませ、化粧に取り掛かった。化粧を終えたら服を選び、締め色のリングを忘れないように装飾した。黒を纏った身体にはシルバーがよく似合う。
毛布、布団カバー、冬仕様のブランケットなどを圧縮袋に詰め込んでコインランドリーへ向かう。外に一歩踏み出した瞬間、初夏を感じさせる気温と、閃光でも放つかのように眩しい太陽がジリジリとアスファルトを焼いた。木陰に入ると「半袖で良かったね」と言ってきたので「そうだね」と淡々と返す。なにも始まらない会話。顔を直視出来ないままひたすら歩いているともう店の前まで来ていた。
なまぬるい室内。役割を果たす気のない扇風機が足元でふわふわと回転している。洗濯機の振動を感じながら隣の蓋を開けて洗濯物を放りこみ、小銭を入れて作動させた。終わるまで時間を潰そうという話になり、少し距離がある回転寿司まで向かうことになったが、混んでいる様子もなく、入店するとすぐにテーブル席へ案内されたので水とお茶を机に1つずつ並べた。ビールを注文しようか悩んでいる様子だったけど、結局、頼むことなく寿司を鱈腹食べて満足したらしい。テーブルに積まれた皿を数えてみたら、おもわず頬が緩んでしまった。
最後の一皿を食べ終えると同時に会計を済ませ、早足でコインランドリーに向かい、早足で帰宅する。部屋に戻り、毛布を広げて籠った熱を逃した。窓を開けて扇風機を収納スペースから引っ張り出したあと、私はポーンと毛布にダイブした。この季節には少々暑苦しい気もしたが、ふかふかで落ち着くモノには勝てないんだよとぶつぶつ言いながらも天井と目を合わせた。交差点を走る車の音や音響式信号機の誘導音が窓を擦り抜けて部屋中に響く。横眼で鳥影を数えていたらいつのまにか寝てしまった。これで1日が終わるのはもったいないと感覚で察したのか、隣でアニメを再生する音が聞こえるなり、「ドリャアアアアア!!!」という必殺技の衝撃波で午睡の終わりを迎えた。あくびをしながらアニメ数話分の時間を無人島生活のゲームに費やす。作業に夢中で会話すら音にならないが、こういう時間が割と好きだ。とは言っても飽き性なので長くは保たないのだけれど。
しばらくして外へ出掛けた。コンビニでアイスラテのLサイズを買ってガムシロップを垂らす。ストローで混ぜながら公園までゆっくり向かった。道すがら、風に靡く新緑が空気をスッと爽快にさせる。夏の匂いがした。仕事終わりのサラリーマン、帰宅する中学生、自転車で買い物に行く女の子、赤いリードを付けた犬を連れて歩く、20代後半であろう男の人。皆、私達を簡単に追い越しては姿を消した。後ろ姿、淡い影がゆらゆら伸びるのを目で追いながら隣で言葉を交わした。
平穏な時間が流れる。川沿いのベンチに腰掛け、残りのアイスラテを飲み干した。向こう側で過ぎゆく電車に会話を遮られるときはフィルムカメラで写真を撮った。消えるはずだった記憶が保存される瞬間。シャッター音は微かにきこえた。
河川が何時に無く煌めいている。時間が経てば経つほど鮮麗な橙色が青い空を染めた。柔らかい空気に包まれる感覚が忘れられない。共有したい人が隣にいること、それが嬉しかった。いつまでも一緒に眺めていたかった。けれど、この時間が長く続かないことを私は知っている。次第に夜の流れ込む気配がして、30分も経たないうちに地上は呆気なく闇に落ちた。街灯の下で飛び交う無数の生き物、飲食店の電飾看板、高層マンションの明かりが騒がしい。
貴方の表情だけが思い出せないこと、夜のせいにしたかった。