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あしおと

歩くとき、足音に気を配っている。
踵を引きずるように歩いてはいけない。つま先を地面に叩きつけるように歩いてはいけない。踵を、そっと、地面に置くようにして、ゆっくりたしかに歩かねばならない。
ちょうどいい角度で踵が落ちると、ことっ、とか、かぽっ、とか、角の取れた丸い音が鳴る。その音は自分と同じだけの質量を持っていて、だから自分の輪郭にすっぽりとはまる。内側にその音が入ってくると、なんともいえず心地よい。自分という実体が、その丸い音を触媒としてさらに濃く世界に反映され、刻み込まれていくたしかな実感。
たとえばそれは、たとえようもないけれど、静まり返った講堂で、坊主の羽織った重い袈裟が、使い古した畳に擦れるときの音。エレベーターで、誰かが喉を鳴らす音。たまたま居合わせただけの人の、マスクの下の息遣い。今のこの瞬間と、何かぴったりと合致するあの感じ。
歩くときは、足音に気を配らなければならない。自分の存在を実感と共に、時間に焼き付けて記録するために。もしくは、記憶するために。人が最期を迎えるいよいよの時、思い出すのは案外、そういうなんでもないことなのかもしれないのだから。

テオ・金丸です。コーポ湊鼠管理人。

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