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多重人格

つるつるした生き方を良しとする人々に、納得しきれない自分がいる。
戒律を定め、訓戒を大事に拾い集めては自らを律し、まっすぐまっすぐ歩き続けようとする人たち。基本的に僕は人には優しい。そういう人たちが道を踏み外し、堕落し自責の念に駆られているのを見れば、すぐに肩を抱けるだけの覚悟は常にしてある。
それなのに、ふとした瞬間、傲岸不遜にも、「ふん。どうせおまえらがいくら頑張ったところで、おれたちはみんな人間なんだ。おまえらは立派な理屈を口にし、素敵な戒律を紙に書いて部屋の壁に貼ったりみたいなことをやっているが、そんなものはすべてまやかしだ。現におまえらだって、常にその通りに生きられているわけではあるまい。堕落したら、良心の呵責に苦しんでさえおけば罪は赦されるものな。まったくご苦労なことだ」みたいな長広舌が、脳髄から抜き取るようにしてスルスルと舞い出てきたりする。僕の頭の中、もしくは心中には、人類を愛で抱擁するような君子と、人類の堕落をこの上なく好む悪魔のような人格が同居しているらしい。
君子にしろ悪魔にしろ、人の堕落を責め立てるようなことはしない。どちらも「それでいい」と語る。前者は人の良心を信じるが故に。後者は人の良心を信じない故に。二極的なそれぞれが、意味は違えど同じ台詞を吐くなんて、なんだか面妖なことだと思う。

戒律を守れなくても、罪を犯しても、生きているのが辛くっても、それでいい。これは君子の言葉。一度書いてしまえば、僕の悪魔は活字には宿らない。

テオ・金丸です。コーポ湊鼠管理人。

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