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拾景

写真を撮る。風景を拾う。
謙虚に言って「借景」、奪い去るなら「鹵景」か。「拾景」はそのちょうど中間に位置している。
たとえば綺麗な山並みや、静謐な湖面の写真は借景。ピントもろくに合っていないポートレートの、噛み付くような生活感を写したものなら鹵景。生きていて当然目に映じるあれやこれやを、なんの意図もなく写せば拾景。
写真を趣味にしてみて感じることは、僕たちは常々奇跡を見落としている。街々のあちこちで産声を上げてはまた消え去る奇跡を、僕たちは毎日見落としている。車が道路を走っている。信号機が点滅している。横断歩道がある。そんな奇跡を当たり前だと信じ込んで、来月の家賃を気にしている。世界はこんなに美しいということを、カメラは飄々と教えてくれる。
そこにあるべき品々が、違和感なく存在していることへの違和感。僕たちは別に人間の姿で産まれてこなくても、ケプラー1649cに住むタコ型エイリアンでも良かったかもしれないという命題じみた焦燥感。手が、足が、心臓が、この世の品々を愛している。愛しくてならないそれぞれを、未来永劫残せないと分かっていて、きっと人はシャッターを切る。借景する。鹵景する。拾景する。空の青は青でしかないということを、人はまだ分かっていない。

テオ・金丸です。コーポ湊鼠管理人。

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